現在、日本女子ソフトボールで日立ソフトボール部の監督を務める斎藤春香監督。2008年開催の北京オリンピックで、ソフトボール女子日本代表チームを金メダルへ導いたとして言わずとも知れた名監督です。ソフトボールがオリンピックの対象競技から除外される前最後のオリンピックだったこともあり大いに盛り上がりましたよね。今回は斎藤春香監督のプロフィールや、これまでの成績などについてご紹介致します。
出典:日立ソフトボール部
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目次
斎藤春香監督プロフィール
所属:日立ソフトボール部
ポジション:監督
背番号:30
生年月日:1970.3.14
出身:青森県弘前市
出身校:青森県立弘前中央高等学校
現役時代は左の強打者
応援歌:「(遥か)(遥か)場外へ、(春香)(春香)ホームラン」
公益財団法人日本ソフトボール協会では常務理事・アスリート委員長として名簿に登録されています。オリンピックでソフトボール競技が実施された4大会すべてを経験しています。
斎藤春香監督の出場履歴
アジア大会
1994年 日本広島
1998年 タイバンコク
2002年 インドネシアジャカルタ
世界選手権
1994年 カナダセントジョンズ
1998年 日本静岡
2002年 カナダサスカトゥーン
オリンピック
1996年 アメリカアトランタ 4位
2000年 オーストラリアシドニー 銀メダル
2004年 ギリシャアテネ 銅メダル
2008年 中国北京 金メダル
斎藤春香監督の個人賞受賞歴
1995年 打点王・ベストナイン
1996年 ベストナイン
1999年 ベストナイン
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斎藤春香監督の経歴
斎藤春香監督は、女子ソフトボールにおいてこれまでのオリンピックで実施された4大会(アトランタ・シドニー・アテネ・北京)に連続で出場し、全ての大会を経験しています。1996年アトランタ大会4位からの3大会では、シドニー2位(銀メダル)、アテネ3位(銅メダル)となり2個のメダルを獲得。現役時代は左の強打者で、主に1番打者を任されていました。
2004年には監督兼選手として現役最後のシーズンを終え、その翌年に日立ソフトウェア(当時)の監督に就任。チームの変革期という厳しい状況であったにも関わらず、連続して決勝トーナメント進出を果たしました。
2006年12月に日本代表監督に就任したことにより、日立ソフトウェア(当時)監督を勇退。
そして最も記憶に新しい2008年北京大会では監督として臨み、宿敵であるアメリカチームを倒し、見事悲願の金メダルを獲得しました。日本の球技スポーツの中では、初の女性優勝監督となりました。
2011年に日立を退社し、生まれ故郷の青森県弘前市教育委員会にてソフトボール普及に努め、(公財)日本ソフトボール協会常務理事、(公財)日本オリンピック委員会(JOC)理事にも就任していましたが、2019年に日立サンディーバの監督に復帰しました。
地元、青森県弘前市にある弘前市運動公園野球場は「はるか夢球場」として地元の方に親しまれていますが、斎藤春香監督に因んで2012年に命名されたものです。
まとめ
選手としても監督としても日本の女子ソフトボール界を支えてきた斎藤春香監督。女子ソフトボールがオリンピックの競技として開催された過去4大会全てに出場し、大活躍を果たした功績は日本の誇りです。今後の活躍にも期待です。
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